1. 同じスペック、同じマット、なのに何故
ネットカフェのブースというのは、基本的に全室が同じ規格で作られている。
どの部屋に入ろうが、置いてあるモニターのサイズは同じだし、ヘッドホンの種類も、床に敷かれたマットの柔らかさすら寸分違わず同じ仕様になっているのだ。
しかし、人間という生き物は時に、理解不能なこだわりを見せることがある。
我が店には、「何が何でも毎回『同じブース』に入りたがる男性客」が存在する。
彼は毎日夕方になるとやってきて、翌朝になると去っていく、いわゆるネット難民であった。
いつも「全世界に対して腹を立てているのか?」と問い詰めたくなるほど不機嫌な顔をしており、何かにつけてスタッフに理不尽なクレームを言ってくるため、アルバイト勢からは満場一致で嫌われている存在である。
彼が夕方フロントにやってくると、受付に置いてあるフロアマップで空き状況を確認することすらしない。開口一番、「……12番!」とボソッと部屋番号を指定してくるのがお決まりのスタイルなのだ。
スペックも居心地も全室共通であるというのに、彼にとってはその「12番」だけが聖域であり、他のブースは「偽物の部屋」なのだ。
もしも来店した際、そのお気に入りブースに先客が入り、埋まっていたりしようものなら大変である。
彼は一瞬で不機嫌のどん底に叩き落され、苦虫を潰したような顔で渋々別のブースへ入っていく。そしてフロントへやってきては、「おしぼりの数が少ない」「清掃が行き届いていない」などと、小学生のいちゃもんのようなクレームを地味につけてくるのだから困ったものである。
2. 廊下を彷徨う「ネカフェの悪霊」
本来、ネットカフェという場所は、個室で漫画を読んだり動画を観たりして、日頃の疲れを癒やすリラックス空間のはずだ。
しかし、お気に入りブースに入れなかった彼の過ごし方は、リラックスとは程遠い。
なんと彼は「席の移動予約」をフロントで済ませると、お気に入りのブースが空くのを今か今かと待ちわびながら、そのブースの周囲を延々とグルグル巡回し始めるのである。
足音を忍ばせ、何度も特定の部屋の前を往復するその姿。
短い利用時間ならまだしも、憎き(と彼が勝手に思っている)先客がパック料金で何時間も滞在している場合、その徘徊ぶりはもはや「我が家に執着して廊下を彷徨う怪談の悪霊」そのものであった。
オススメのネット動画を観たりコミックを読んだりして気楽に過ごせばいいものを、わざわざ部屋の外に出てグルグル巡回し、一体何をしにネカフェへ来ているのかさっぱり分からない。
そして、運命の時がやってくる。
中の先客が退店を決意し、フロントで精算をしているまさにその最中、悪霊と化した彼が「あの部屋、今空きましたよね!?」とフロントへ息を切らせて言いに来るのだ。
(分かってるよ、今まさにそのお会計をしてる最中なんだからちょっと黙っておくれよ。)
私は心の中でそう呟きつつ、予約しているのだから焦らなくても大丈夫だというのに、一秒でも早くその聖域へ足を踏み入れようとする彼の執念に、ただただ白目を剥くばかりであった。
3. ドヤ顔のち、暗黒の30分間
そんなある日、珍しくお気に入りのブースが最初から空いており、彼は念願の聖域へすんなりと入室することができた。
フロントを通り過ぎる際、彼はなぜか「勝者」とでも言いたげな誇らしげなドヤ顔を浮かべており、私は(良かったねぇ)と生温かい目で見送ったのである。
しかし、平和は長続きしなかった。
入室してしばらく経った頃、彼が神妙な面持ちでフロントへやってきた。
「モニターの電源が入らないんだけど」
慌てて私が部屋へ見に行き、コンセントを抜き差ししたり配線をチェックしたりと色々試してみたものの、画面は真っ暗なままピクリとも動かない。完全に壊れてしまっていた。
生憎、その日は交換用の予備モニターが出払っており、手持ちがない状態だった。
通常、こういう場合は別のお部屋へ移動してもらい、壊れた部屋は修理が終わるまで一時閉鎖(売り止め)にするのがネカフェの基本マニュアルである。
「申し訳ございません、本日予備のモニターがございませんので、別のお部屋へご移動をお願いいたします」
マニュアル通りに丁寧にご案内したのだが、彼の反応は予想を遥かに超える往復ビンタ級のものであった。
「他のモニターないの!?」「どこかに替えがあるでしょ!探してよ!」
彼は頑として部屋を移動しようとせず、同じ主張を何度も何度も繰り返す。
フロントで押し問答が続くこと、実に30分。他のお客様の会計や案内も滞りはじめ、いよいよ我が店のオペレーションに深刻な支障が出始めた。
挙句の果てに、男は調子に乗って「だいたいさぁ!こんな画面も点かないような使えない部屋で、金なんて払えるわけないだろ!」と暴言を吐き捨てる始末。
4. 怯まないしー姉と、謎の執念
30分間、彼の身勝手なワガママに付き合わされた私の忍耐の袋は、プツンと音を立てて切れ落ちた。
私はスッと接客スマイルを消し去り、完全なる無表情へとシフトチェンジした。そして、氷のように冷ややかな声で静かにこう言った。
「……申し訳ありませんでした。今日はお代は結構です」
その瞬間、男の目がキランと怪しく輝いた。
(よし言ってみるもんだ!タダでこの部屋を使えるぞ!)という薄汚いラッキー感が、そのギラついた両目からダダ漏れになっていたのを私は見逃さなかった。
だが、甘い。甘すぎるのだ、おじさん。
私は一髪の隙も与えず、そのまま氷点下の声で言葉をたたきつけた。
「当店ではご希望のサービスを提供することができませんので、お部屋はキャンセルとさせていただきます。どうぞ他のご希望に合うお店へ行かれてください」
店側からの、事実上の「お引き取りください(出禁一歩手前)」の切り捨て宣告である。
「えっ……」と、せっかく輝いた目を丸くして完全にひるむ客。
対する私は、一歩も引く気がない仁王立ちの態勢である。
「移動されますか? それとも、このまま退店されますか?」
私が容赦無く二者択一を迫ると、男の表情がみるみる凍りついた。
感情に任せてこの目の前の女(しー姉)をこれ以上怒らせたら、自分が路頭に迷い、ネカフェ難民としての数少ない拠点……すなわち人間の基本である衣食住の「住」を完全に失うことになるという恐ろしい事実に、ようやく気がついたらしいのだ。
さっきまでの威勢は跡形もなく吹き飛び、男の両目から眩しく輝いていた光が「スッ…」と消えていった。己の「住」の生殺与奪権を完全に握られた男は、蛇に睨まれたカエルのように縮こまり、しー姉に向かって蚊の鳴くような声で弱々しく答えたのである。
「……移動……ううん、今のままで……あの席でいいです……」
画面が映らない真っ暗なモニターを前に、彼は敗残兵のように肩を落とし、あのお気に入りの部屋へと戻っていった。
すぐ隣には、何ひとつ変わらないスペックで、モニターもバッチリと眩しく輝いている「13番ブース」が虚しく空いているというのに、である。
モニターすら点かない、ただの狭い箱と化したその部屋のどこにそこまでの魅力があるというのか、私にはさっぱり分からない。
ネットカフェのフロントは、時として人間の理解を超えた「執念の凄まじさ」を特等席で見届けさせられる、実に心臓に悪い人間交差点なのであった。
📚 しー姉のネカフェおすすめコミック
さて、今回の「ブースに取り憑いた男」のように、目に見えない執念や、そこに「何か」がいるような不気味でシュールな体験をしたくなってしまったあなたへ。
ネカフェの棚から今すぐ持ってきてブースで引きこもって読んでほしい、極上のホラーコメディをご紹介しよう。
👁️ 『見える子ちゃん』
ある日突然、普通の人には見えない「ヤバい形の幽霊たち」が普通に見えるようになってしまった女子高生・みこちゃんの日常を描いた怪作である。
彼女の取った行動は、退散させるでも戦うでもなく、ひたすら「見えていないフリをして無視する」こと。
目の前に異形のお化けがドアップで迫ってこようが、どんなに恐ろしい声で話しかけられようが、必死で顔を引きつらせながらスルーし続けるみこちゃんの姿は、シュールでクスッと笑える反面、ゾッとするような恐怖も描かれていて癖になる。
今回、壊れた部屋の周りを怪談の悪霊のようにグルグル徘徊していたあのお客様を、私が「見えていないフリ(気にしないフリ)」でやり過ごそうとしていたあのギリギリの緊張感。
ぜひ安全なネカフェのソファの上で、みこちゃんの「絶対に見えてませんから!」という必死のソロバトルを応援しながら読んでみてはいかがでしょうか。
価格:10219円 |



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