1. 疑似家族が生み出す、美味しいお裾分け
ネットカフェという場所は、お客様の利用時間が異様に長い。一晩中、あるいは何日も同じブースで過ごす方も珍しくないため、ここは彼らにとってほぼ「我が家」であり、私たちスタッフはいつしか「疑似家族」のような存在として認識されることがある。
安全でお気楽な我が家(ネカフェ)でリラックスしているお客様たちからは、実によく差し入れをいただく。
お菓子やジュース、カップラーメン、はては出張のお土産まで、フロントにはもはや我が店の準レギュラーと言っても過言ではない頻度で何かしらの配給が届く。
そして、何を隠そうこの私は、自他共に認める「物欲の塊」である。
物をくれる人は無条件で大好きだし、何かをもらえると分かった瞬間の私の愛想の良さたるや、我ながら目を見張るものがある。そのたびに私は、借りてきた猫のように殊勝な笑顔を浮かべて「わぁ、ありがとうございます!」と、現金極まりないお礼を言うのが日常茶飯事であった。
そんな数ある差し入れ客の中で、我が店において不動のトップに君臨するのが、50代の男性・井ノ原さんである。
井ノ原さんは毎日、仕事が終わると我がネカフェにやってくる。非常に穏やかで、いつ見ても背筋がピンと伸びている、実にかっこいいおじさんなのだ。
そんな紳士な井ノ原さんなのだが、毎週土曜日になると、さらなる輝きを放って店に現れる。駅ビルのケーキ屋さんで、ケーキを買ってきてくれるからである。
幕を開けた土曜日のシフト。井ノ原さんが自動ドアをくぐった瞬間、スタッフたちは全員が「丁寧な接客のプロ」に変身する。現金なスタッフばかりで本当に申し訳ないと思うが、背に腹は変えられない。私たちは平然を装いながらも、全員が盗み見るようにして井ノ原さんの「左手」をチェックする。そこにお馴染みの白いケーキ屋さんの袋がぶら下がっているのを確認すると、心の中でガッツポーズを決めるのだ。
ただ、そんな最高な井ノ原さんにも、一つだけ残念なところがあった。
毎回、買ってきてくれるケーキが「完全に同じ種類、それも一種類のみ」なのである。
最初のうちは「わぁい、ケーキだ!」と狂喜乱舞していたスタッフたちも、毎週毎週、全く同じ味のケーキを10個以上も並べられると、人間の贅沢な悲しさで、だんだんと飽きてきてしまうのだ。
夜が更けるにつれ、フロントの裏にはポツンと行き場を失ったケーキが残されるようになり、私は心の中で(井ノ原さん、せめてアソートにしておくれよ……)と、贅沢極まりない苦言を呈していたのである。
3. ナンという名の奇跡と、私の愛
しかし、先日の土曜日、事件は起きた。
自動ドアが開き、いつものように姿勢良く入ってきた井ノ原さんの左手を、私たちは一斉にパパラッチ並みの鋭さで凝視した。
すると、いつもと様子が違う。そこにあったのは、あの冷たくて白いケーキ屋さんの袋ではなく、茶色い、そして何やら湯気が立っているかのように「暖かい袋」だったのだ。
「これ、みんなで食べてね」
そう言って井ノ原さんから受け取った袋からは、スパイシーで濃厚な、食欲をこれでもかと刺激する素晴らしい香りが漂ってきた。
なんと井ノ原さんは、駅ビルに新しくできたインドカレー屋さんで、炊きたての持ち帰りカレーと、アッツアツの巨大なナンを大量に買ってきてくれたのである。
(井ノ原さん……!! あなたって人は、なんて最高の男なんだ……!!)
同じケーキの無限ループに若干の白目を剥きかけていたスタッフ一同、その瞬間、井ノ原さんへの愛が限界突破した。あの焼きたてのナンのモチモチした温もりは、私たちの現金な心に深く染み渡り、その日の夜勤はかつてないほどの幸福感に包まれたのであった。やっぱり、胃袋を掴んでくる男は強い。
4. 繰り返されるお礼と、大人の虚しさ
「井ノ原さん、本当にいつもありがとうございます!」
そう告げると、井ノ原さんは小さくうなずき、そそくさと自分のブースへ消えていった。
義務教育を終えたであろう大人の女性が、物欲に踊らされ、毎週土曜日、ケーキやカレーをもらうたびに「わわわ!ありがとうございます!」と、お誕生日の子供でも言えるような感謝の言葉をわざわざ満面の笑みで繰り返さねばならないこの虚しさは、一体どう表現すればいいのだろう。
ネットカフェのフロントは、時として他人の好意(と差し入れのメニュー)に胃袋の命運を完全に握られる、実に心臓に悪い人間交差点なのであった。
📚 しー姉のネカフェおすすめコミック
さて、今回の井ノ原さんのカレーのように、「美味しいごはん」が奇跡を起こす、あるいは胃袋をガシッと掴まれるようなお話が読みたくなってしまったあなたへ。
ネカフェの棚から今すぐ持ってきてブースで引きこもって読んでほしい、極上の「飯テロ漫画」を2冊ご紹介しよう。
🐉 『ダンジョン飯』
ファンタジー世界のダンジョン(迷宮)に潜むモンスターたちを、なんと「調理して美味しく食べてしまおう」という、前代未聞のグルメ漫画である。
スライムやバジリスク、果てはドラゴンまで、一見「そんなの食べられるの!?」と思うような魔物たちが、主人公たちの手によって実に美味しそうなコース料理へと変貌していく。
ただのゲテモノ料理漫画ではなく、栄養バランスや生態系まで細かく考え抜かれた調理プロセスは、読んでいるうちに「ちょっとスライム水餃子食べてみたいかも……」と思わされるから不思議である。お腹が空いている時に読むと、ネカフェの自動販売機へ走ることになるので注意が必要だ。
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🥬 『任侠飯』
こちらは、コワモテのヤクザの組長が、なぜか料理の腕前がプロ級というギャップがたまらないグルメ漫画である。
ひょんなことから修羅場に巻き込まれた平凡な大学生の部屋に、ヤクザの親分が居座ることになるのだが、彼が冷蔵庫の「残り物」を使って作る料理が、これまた尋常じゃなく美味そうなのだ。
極道ならではのピリついた緊張感の中で、ネギの青い部分やちょっと干からびた生姜が見事な逸品へと生まれ変わるカタルシス。任侠の男が魅せる、不器用ながらもこだわり抜かれた「男の飯」の力強さは、まさに今回の井ノ原さんのインドカレーを彷彿とさせる、男気あふれる胃袋の掴み方なのである。



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