はじめに:長年の感が生む「ヤバい奴」察知能力
長年ネカフェの店員という商売をやっていると、自動ドアをくぐってきた客を一目見ただけで、脳内の警報器がピピピピ!と鳴り響くことがある。
(あ、コイツは近いうちに食い逃げか無銭滞在をしでかすな)
言葉ではうまく説明できないが、長年の現場経験がもたらす「ろくでもない予感」というやつだ。そしてその日、私のその嫌な勘は恐ろしい精度で的中することになるのである。
1. 威嚇なのかダンスなのか分からない男
その日、スーッと自動ドアが開いて入ってきたのは、50代半ばほどの男であった。
何が恐ろしいと言って、その歩き方である。なぜか肩をガクガクと激しく揺らし、足元は何か見えない障害物を蹴散らすような怪しい歩調で、ズンズンとフロントへ向かってくるのだ。何かの威嚇行動なのか、はたまた独特なダンスステップなのかは定かではない。
手にある持ち物は、バッグ代わりと思われるコンビニの袋ひとつのみ。実に怪しい。
フロントにいた20代の女性スタッフ・中田さんが「いらっしゃいませ。会員証の提示をお願いします」と丁寧に対応するも、男はピタリと立ち止まり、相変わらず肩をガクガク揺らしながら言った。
「おう、寝れるとこある? 明日の夕方までいたいんだけど」
中田さんが落ち着いて「会員証はお持ちですか?」と聞き返すと、男はそこから怒涛の質問攻めを開始したのだった。
「会員証? お金は掛かるの? いくら?」「身分証? な、なんでもいいのか?」「明日の夕方まで。いくら掛かる?」「一番安いパックはいくらだ?」「部屋はどこが泊まれる?」「ドリンクはタダで飲めるのか?」「シャワーは別料金か?」
やたらと金額ばかりを気にし、挙動不審を絵に描いたような男。何とか入会手続きを終えて申し込む姿勢を見せたが、中田さんはチラリとこちらを見ながら、「面倒くさそうな人が来ましたね……」と小さく呟くのであった。
2. センサー振り切れる! 特盛カレーのトラップ
身分証を確認し、ブースへ案内する段階になっても、男の問答は終わらない。
「明日の退出ですと、料金は3,450円です」と伝えると、男はフッと動きを止め、パネルの料金表を穴が開くほど見つめて指さした。
「こっちは? このパックはもっと安いぞ」
「そちらですと時間が短いので、お昼頃までのご利用になります」
「夜までいるんだよ、いくら?」
「それですと、さんぜんよん……」
「こっちは? 安い方」
まったく同じやり取りを不毛に繰り返し、通常の倍以上の時間をかけてようやく部屋へと消えて行った。男の名前は草場雄一郎(仮名)
住所は県外になっている。
「中田さん、あの人逃げるかもよ」
私がボソッと言うと、中田さんは「え? 本当ですか?」と目を丸くした。
県外からの新規客、ロングパック利用、持ち物はコンビニ袋に入った財布のみ。私の脳内にある「未払いセンサー」のメーターは、すでに黄色信号から赤信号へと差し掛かっていた。
そして数分後、フロントのインターホンが「プルプル」とけたたましく鳴った。草場からの呼び出しである。
「はい、フロントです」
「ああー、あの……食事の特盛カレーを持ってきて」
特盛カレー。それは我が店舗のメニューの中でもトップクラスのボリュームを誇り、お値段もしっかり張る高級品である。
この瞬間、私の未払いセンサーの針は「ピー!ピー!ピー!」とけたたましい警告音とともに振り切れて破壊された。間違いない。コイツは腹いっぱい食って逃げる気満々なのだ。
3. 明日のシフトとチロルチョコ
「中田さん、絶対この人逃げるよ。明日のシフト、誰だっけ?」
草場の退室時間に重なる明日のシフトを確認すると、そこには中田さんと、最近研修を終えたばかりの「わがままボディ(体重100kg超)」な新人くんの2名。ちなみに私はお休みである。実に心もとない陣形だ。
「……あぁ……」
絶望的な組み合わせに、中田さんの顔がみるみる暗くなっていく。
「明日、退室時間になったらスグ声を掛けて。もしお金を持ってないと言われたら、有無を言わさず警察に電話してね」
指示を出しつつも、まだどこか半信半疑そうな中田さんに、私は変な自信を込めて提案してみた。
「絶対逃げると思うよ。なんならチロルチョコ賭ける?」
すると中田さんは、一瞬フッと表情を緩ませて言った。
「チロルチョコですか……ふふ、良いですねぇ。じゃあ私、逃げない方に賭けます」
不穏な空気の中、なぜか駄菓子レベルの平和な賭けが成立した。
引き継ぎノートに大きく『草場雄一郎、逃亡注意』と赤字で書き込み、私は胸のざわつき(と、チロルチョコへの小さな期待)を抱えたまま、その日のシフトを終えて帰宅するのであった。
(【三部作・その2】へ続く)


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