輝かしい学歴と、あまりにも頼りない背中
ある日、我が店に三十二歳の新人男性がやってきた。
彼の経歴を聞いて、私は思わず目を見張った。なんと、誰もがその名を知っている超有名国立大学の卒業生だというのである。おまけに教員免許まで持っているという、絵に描いたような高学歴エリートであった。
しかし、実際に目の前に現れた彼は、地方の島出身だそうで、ヒョロヒョロと細身でとにかく顔色が悪い。
さらに詳しく話を聞いてみると、大学を卒業してからの十年間、ずっと引きこもりがちのフリーター生活を送っており、今でも親からの仕送りで食いつないでいるという、なかなかにディープな闇を抱えた男であった。
そんな彼であるからして、接客業の基本である「元気な挨拶」など望むべくもない。
話しかけても「あ、はい……あの……」とオドオドと消え入りそうな声で答えるし、お客様に対しても常にビクビクと怯え、声のボリュームは常に最小設定。
幸い、頭は良いのでレジの操作などはすぐに覚えてくれたのだが、何せ接客がこれなので、研修期間中は私がつきっきりで面倒を見る羽目になった。
耳だけはキッチンへ、私の密かな実力テスト
そんな彼もなんとか研修期間を終え、いよいよ一人でフロントとキッチンを任せる日がやってきた。
ちょうど私の休憩時間中、店内に食事の注文がポツポツと続けて入った。
いつまでも過保護に見守っているわけにはいかない。私は「よし、ここはあえて手伝わずに、彼一人でどこまでできるか任せてみよう」と、冷徹な試験官のような決意を固めた。
とはいえ、やはり心配である。
私はバックヤードで漫画を開き、目線はページに落としつつも、すべての神経を耳へと集中させ、キッチンの様子をうかがうことにした。
すると間もなく、キッチンから「ピー、ピー、ピー」と、電子レンジの加熱終了を告げる電子音が響いてきた。
我が店のレンジはなかなかに気が強く、扉を開けて中のものを取り出すまで、これでもかと何度も催促の音を鳴らし続けるシステムになっている。
「ピー、ピー、ピー」
再び、無慈悲な催促の音がバックヤードに響き渡った。その、次の瞬間であった。
「分かってる!何度も言うな!」
「ハーイハーイ!!聞こえてるって!!」
突如、キッチンからそんな怒号が聞こえてきた。
ビクッとして漫画を落としそうになった私は、一瞬、何が起きたのか分からなかった。声の主は、間違いなくあのオドオド大卒新人である。しかし、今の一喝は、まるで戦国武将のような凄みがあった。
キッチンには彼しかいない。つまり彼は、人間ではなく「電子レンジ」に対して本気でブチ切れているのである。
彼の猛犬のような快進撃は、レンジだけに留まらなかった。
その後も、タイマーやフライヤーといった調理器具たちに対し、
「うるさい!」「今やってんだよ!」
などと、大声で次々に喧嘩を売りまくっている。
人間に対しては蚊の鳴くような声しか出せない男が、喋りもしない無機物に対してだけは、狂犬のごとき強気な姿勢を見せつけているのだ。そのあまりの豹変ぶりに、私は唖然とするしかなかった。
途端に、いつものオドオドに戻る男
あまりにもキッチンの怒号が激しく、これではフロアにいるお客様にまで筒抜けになってしまう。
たまらず私は漫画を置き、キッチンの様子を見に行くことにした。
そこには、フライヤーを睨みつけながらハァハァと肩で息をしている彼の姿があった。
私は一歩歩み寄り、できるだけ冷静に、かつドスの利いた声でこう言い放った。
「フロアまで丸聞こえなんだけど。何か文句ある?」
するとどうだろう。
さっきまでキッチンを支配していた狂犬の姿は一瞬で霧のように消え去り、彼はビクゥッと肩を跳ね上がらせると、いつもの情けない顔に戻ってこう言った。
「い、いえ……何もないです……すみません……」
その変わり身の早さは、見事というほかなかった。結局、彼は人間に対しては最後まで牙を剥くことはできなかったのである。
彼の選んだ、新たなる戦場
そんな無機物ファイターの彼だったが、働き始めて二ヶ月が経った頃、「他の仕事が見つかったので」と、あっさりと店を辞めていくことになった。
最終日、店長が「次はどんな仕事をするの?」と何気なく尋ねた。
彼の口から返ってきた答えを聞いて、私は我が耳を疑った。
「あ、次は……テレフォンオペレーターをやります……」
電話。それは、姿の見えない人間を相手に、声だけで勝負する究極のコミュニケーション職である。
一見、無機物(電話機)に向かって喋る仕事のようにも思えるが、その回線の向こうにいるのは、時に理不尽なクレームをつけてくる生身の人間なのだ。
お客様からの容赦ないお叱りの電話に対して、彼が受話器を握りしめながら、
「分かってる!何度も言うな!」
と大音量でブチ切れないことを、私は元同僚として、ただただ影ながら祈るばかりであった。
📚 しー姉のネカフェおすすめコミック
さて、今回の「人間にはオドオドするくせに、電子レンジやフライヤーなどの無機物には狂犬のようにブチ切れる男」の体験談を読んで、「無機物と人間との不思議な関係」に思いを馳せてしまったあなたへ。
ネカフェの棚から持ってきて、ドリンクバーのジュースでも飲みながらブースでじっくり読んでほしい、異色のファンタジーコミックをご紹介しよう。
『自動販売機に生まれ変わった俺は迷宮を彷徨う』
タイトル通り、事故に遭った主人公が異世界に生まれ変わったら、なんと「自動販売機」になっていたという、正気を疑うような設定の物語である。
喋れる言葉は「いらっしゃいませ」「当たりが出たらもう一本」といった機械の電子音声のみ。自力で動くことすらできない彼は、最初は迷宮の片隅でただの鉄の箱として放置されかけるのだが、コインを投入されると温かい缶コーヒーやカップラーメンを健気に吐き出し、異世界の人々の小腹と心を癒やしていくのだ。
今回我が店にいた彼は、電子レンジの「ピー!」という催促の音に「ウルサイ!今やってんだよ!」と大声で喧嘩を売っていたわけだが、もしもこの漫画の自動販売機(主人公)が我が店のキッチンに置かれていたら、一体どんな泥沼の不毛な戦いが繰り広げられていたのだろうか。
「喋らない無機物」のありがたみと愛おしさが身に染みると同時に、無機物のくせに人間以上に役に立つ主人公の姿に、思わずホロリとさせられてしまう(?)不思議な名作である。ぜひネカフェの静かな個室で楽しんでいただきたい。
自動販売機に生まれ変わった俺は迷宮を彷徨う1 (電撃コミックスNEXT) [ 九二枝 ] 価格:814円 |
自動販売機に生まれ変わった俺は迷宮を彷徨う2 (電撃コミックスNEXT) [ 九二枝 ] 価格:814円 |



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