1. 残された惨状と「AIモード」解除
「地獄に落ちろ!!!」の捨てゼリフとともに、台風のように去っていったうさぎおばさん。
とりあえず嵐は過ぎ去り、店内に束の間の平和が戻ってきた。
……しかし、私の胸にはどうにも拭い去れない「嫌な予感」が渦巻いていたのである。
「天使君、ちょっとさっきのおばさんの部屋見てくるね」
私は鍵を手に取り、おばさんが使っていた完全個室のブースへと向かった。
ドアの前に立ち、深呼吸をしてからゆっくりと扉を開ける。
そこに広がっていたのは、まさに目を疑うような光景であった。
捨てていったつもりなのか、大量の着古した衣類、使いかけの食器、謎の書類が詰まったパンパンの紙袋。さらには、うさぎを入れていたであろうケージまでもがそのまま放置されている。
そして極めつけは、ブースの床一面に敷き詰められたマットの上。
そこに、無数の「うさぎのフン」が散乱していたのである。
「あのババァ……!!」
あまりの惨状に、私の脳内で作動していた「AIモード」が一瞬で吹き飛んだ。
フロントへ猛ダッシュで戻ると、「……やられた。あの部屋、利用停止にして!」と天使君に指示を出し、清掃用のバケツ、アルコール、消臭スプレーを両手に抱えて現場へ引き返した。
消臭剤をこれでもかと噴射し、無心で清掃をこなす。完全に臭いが消えるまで、この部屋は売り物にならない。店にとっても大損害である。
2. 恐怖のバスタオルと「緑の正体」
なんとか清掃を終え、フロントでゼーゼーと息を整えていた時のことである。
入店してきたお客様が、怪訝な顔でフロントに声をかけてきた。
「あの、お店の入口のところにゴミが落ちてますよ」
ビルの中にある店舗なので、そんな大きなゴミが落ちているはずもないのだが……。
一応、ほうきとちりとりを手に取って、入口の自動ドアへ向かった。
ドアがスッと開き、通路に目をやると、何やら大きめのバスタオルが1枚、ポツンと落ちている。
(……さっきのうさぎババァのやつじゃない?)
じわじわと怒りが再燃しながら近づいていくと、そのバスタオルは何やら「こんもり」と不自然に膨らんでいた。
まるで、何か生き物のような丸みを帯びた膨らみである。
(……バスタオルに隠れるくらいの、この絶妙な大きさ……まさか……うさぎ??)
最悪の予測が頭をよぎり、私の心臓はバクバクと激しく波打ち始めた。もし捨てられたうさぎだったらどうしよう。いや、もし息をしていなかったら……?
かなり怯えながら、恐る恐るバスタオルの端を指でつまみ、持ち上げてみる。
次の瞬間——。
ツンと鼻を突く強烈な異臭が漂い、私は「ふぉっ?!」と変な声を上げてバスタオルをバッと放り投げてしまった。
怖すぎる。本当に帰りたい。
しかし、ここはビルの通路であり、他のお客様の目もある。覚悟を決めた私は、もう一度バスタオルの端をつまみ、一気にめくり上げた。
視界に飛び込んできたのは、予想外の「緑色」であった。
「緑……?」
おそるおそる覗き込むと、そこにあったのは、うさぎでもペットでもなく、ドロドロに腐敗した白菜であった。
安心感と激しい怒りが同時に押し寄せ、私は思わず「クソが!!」と誰もいない通路で声を荒げてしまった。
無理やりちりとりの中に腐った白菜を押し込み、フロントへ生還。
天使君にバスタオルの真相を話すと、普段は天使のような笑顔の彼の顔から完全に笑顔が消え、「気持ち悪い……」と心底引いていたのであった。
その後、店長に事の顛末を報告し、おばさんは我がチェーン店全店で「出入り禁止(出禁)」の処理が下された。
3. 数ヶ月後、一本の「しおらしい電話」
もう二度と会うこともないであろう、うさぎおばさん。
(どうかあのうさぎだけは元気でいてくれ……)と陰ながら願っていた私だったが、数ヶ月後、思いもよらない形で彼女との「第二ラウンド」が幕を開ける。
ジリリリリ……とフロントの電話が鳴った。
受話器を取ると、電話の主は中年女性であった。
「あの、以前そちらのお店を利用した者なのですが……」
驚くほど落ち着いた、どこか申し訳なさそうな「しおらしい声」である。
忘れ物の問い合わせかと思い、私も丁寧に対応した。
「はい、どうされましたか?」
「実は今、他のお店を利用しようとしたのですけど、会員証が使えなくなっていて……。そちらのお店で利用が止められているそうなんです。どうしても使いたいので、そこの店員さんに聞いたら『止められた店舗に連絡して解除してもらってください』と言われたので……」
嫌な予感が背中を駆け抜ける。
「お調べしますので、お名前と生年月日をお伺いできますか?」
お客様情報を検索し、画面に表示されたカルテを見た瞬間、私は凍りついた。
そこには鮮やかな「出禁マーク」、そしてメモ欄にはハッキリとこう書かれていたのだ。
『うさぎのうんこ』
あのババァだ。間違いない。
姉妹店のスタッフも、おばさんから相当しつこくゴネられ、対応に困り果ててこちらに丸投げしてきたのだろう。
私は即座に脳内のスイッチをパチリと切り替え、「AIモード」を起動した。
「以前のご利用時の深刻な迷惑行為により、全店でご利用停止となっております」
4. 崩れ去る仮面と、狂気のラスト
しおらしい態度で押し切れると思っていたおばさんは、一瞬でボロを出し始めた。
「でも! 今日使えないと困るんです!!」
「以前のご利用時の深刻な迷惑行為により、全店でご利用停止となっております」
「でもぉ、あの、前は……っ!!」
「以前のご利用時の深刻な迷惑行為により、全店でご利用停止となっております」
ついに耐えかねたおばさんの本性が、怒号とともに爆発した。
「あんな部屋……っ!! 汚くて毒が撒いてあったのよ!! 荷物も!! 返しなさいよ!! あんな汚い部屋aぶlg!!!!fじぁ87g!かls001v&ぬぁあ!!」
「以前のご利用時の深刻な迷惑行為により、全店でご利用停止となっております」
「なんだお前は!! フジコ!!! アビgf!,!!!7774qqk!!む90あ!&%$じぇ!!!!!」
「以前のご利用時の深刻な迷惑行為により、全店でご利用停止となっております」
受話器の向こうで、完全に言葉にならない奇声を上げ続けるおばさん。
私は一切の感情を交えず、淡々と、しかし冷ややかに言い放った。
「他のお客様のご迷惑となりますので、電話を切らせていただきます。失礼いたします」
ガチャリ。
静寂が戻った。今度こそ、本当に終わったのだ。
最初は「しおらしい客」を装って下手にに出ていたところからの、あの凄まじいヒートアップ。
自分の身勝手な行いによって、居場所も、信用も、何もかも失っていくおばさん。
せめて、あのうさぎだけは、彼女の手元で健やかに生きていることを願うばかりである。
ネットカフェのフロントは、今日も今日とて、想像を超える狂気が電話越しに飛び込んでくる現場なのであった。
5. 本日の店内おすすめコミック『うさぎドロップ』
今回の騒動により、私の中で「うさぎ=狂気のババァと腐った白菜」という最悪のイメージが定着しそうになったわけであるが、世の中にはちゃんと心を洗ってくれるまともな「うさぎ」も存在する。
それが、宇仁田ゆみ先生の『うさぎドロップ』(全10巻)である。
【あらすじ】
30歳の独身男・ダイキチが、おじいさんの隠し子である6歳の少女・りんちゃんを引き取って育てることになり、あーだこーだ言いながら手探りで奮闘するほのぼの物語である。
血のつながりだの世間体だのを越えて、不器用な大人と健気な子供が少しずつ家族になっていく様子が実によく描かれており、読んでいて心が「ほわ〜っ」とあたたかくなってくる。
あの嵐のようなババァに「地獄に落ちろ!」と呪いをかけられ、腐った白菜の異臭にノックアウトされた私の荒れ果てた精神も、りんちゃんの愛くるしさによって見事に浄化されたのであった。
人間、生きていると理不尽な恐怖に叩きつけられることもあるが、そんな時はネカフェの個室にこもり、こういう平和で優しい漫画を読んで現実逃避するに限る。
みなさんも理不尽な目に遭った日は、ぜひ当店のコミック棚から手に取ってみてほしい。
(※ちなみに、どれだけ癒やされたくても本物のうさぎを店内に持ち込むことだけは固くお断りさせていただく。私がまたAIモードになってしまうからである。)
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